高松地方裁判所 昭和42年(わ)168号 判決 1968年5月06日
被告人 松川民雄
主文
被告人を懲役三月に処する。
ただしこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第一昭和四一年九月一〇日ごろの午後九時ごろ、自己の運転するダンプカーにA子(昭和二四年四月一七日生)を乗せて、高松市成合町香東川堤防上まで連れて行き、同所に右ダンプカーを停車させたうえ、その運転席において、同女が一八才未満であることを知りながら同女と肉体関係を結んで淫行し、
第二同年一〇年二九日ごろの午後八時ごろ、かねてから知り合いのB子(昭和二四年一〇月一日生)を同市中野町所在の三幸旅館に連れ込み、同旅館階下洋間の客室において、同女が一八才未満であることを知りながら同女と肉体関係を結んで淫行し、
もつて青少年である同女らの福祉を著しく阻害したものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
被告人の判示各所為は香川県青少年保護育成条例一六条一項、二一条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重いと認められる判示第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役三月に処し、同法二五条一項一号によりこの裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予することとし、なお、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文に則り全部被告人に負担させることとする。
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、第一に香川県青少年保護育成条例(以下単に本条例という)一六条一項、二一条一項の規定する事項は国の事務に属するばかりでなく、法令の先占領域を侵害しているので、条例制定権の範囲を規定した憲法九四条、地方自治法一四条一項に違反し、第二に本条例一六条一項、二一条一項の構成要件が不明確であつて、罪刑法定主義を規定した憲法三一条に違反し、右の二点において本条例一六条一項、二一条一項の規定は無効であり、したがつて、被告人は無罪であると主張する。そこで、当裁判所は、弁護人の右主張について次のとおり判断する。
弁護人主張の第一点について
普通地方公共団体は、法令に違反しない限り、普通地方公共団体の事務に関し、条例を制定することができることは憲法九四条、地方自治法一四条一項の明定するところであり、そして、普通地方公共団体の事務には固有事務、委任事務、行政事務の三種があることも同法二条二項の規定するとおりであるが、本条例が対象としているのは、右のうち風俗を汚す行為の制限その他風俗のじゆん化に関する事項を処理することならびに住民および滞在者の安全、健康および福祉を保持すること(同法二条三項一号、七号)等の普通地方公共団体のいわゆる行政事務に属する事項であつて、弁護人が主張するように専ら国の事務に属する事項を対象としているものではない。
次に、本条例が、法令に違反して制定されたものであるかどうかを検討してみることとする。まず、条例の条項が積極的に法令の条項と矛盾、牴触する場合には、条例の当該規定が法令に違反することになるのはいうまでもないが、積極的に矛盾、牴触しない場合であつても、法令の趣旨、目的からみて条例の規定が法令の先占領域を侵害する場合は当該条例の規定が法令に違反するものといわなければならない。かりに、法令と条例との規定の対象が同一もしくは類似していても、その目的ないし趣旨が異なる場合は、普通地方公共団体は原則としてその事項につき条例を制定し得ると解するのが相当である。蓋し、法令と目的ないし趣旨が異なる場合まで法令の先占領域を侵害するものと解し、普通地方公共団体の条例制定権を否定するときは憲法九四条によつて認められた自主立法権の範囲をあまりにも、縮少する結果となり、憲法の右趣旨を没却することになるからである。
以上のことを前提として本条例を検討してみるに、なるほど弁護人が主張するように、刑法は一七四条、一七六条ないし一七九条で性に関する規定を設け、社会の性秩序ないし健全な性的風俗を保護しているが、しかし、本条例の目的とするところは、その前文および一条にも規定しているように、各種の社会悪に対してまだ抵抗力の強くない青少年の健全な育成を図るため、香川県では、青少年の生活環境の整備等必要な施策を講ずる一方(本条例三条)、青少年の福祉を阻害するおそれのある行為を防止する目的で本条例を制定したものであり、しかも本条例二八条が規定するように、青少年が本条例違反の行為をしても処罰しないのであるから、刑法の目的と同一でないばかりか、その規定内容も刑法のそれと矛盾、牴触するものでもない。そうだとすると、香川県が、前記目的を達成するため、本条例一六条第一項、二一条一項の規定を設けたことは、法令の先占領域を侵害したことにはならず、したがつて本条例は、憲法九四条、地方自治法一四条一項五項の規定する条例制定権の範囲を逸脱して制定された条例であるということはできない。この点に関する弁護人の主張は理由がない。
弁護人主張の第二点について
罪刑法定主義の建前から、犯罪の構成要件はなるべく明確な表現で、しかも客観性をもち疑問の余地のないように規定することが望しいことではあるが、しかし、どんな刑罰法規であつてもある程度抽象的たることは免れないところであり、このことは刑法のような基本法規の解釈についてさえ学説が分れ、結局判例が積み重ねられることによつて解決されていることからもいいうることである。したがつて、構成要件を定めた法令の表現が抽象的過ぎるとの理由で、罪刑法定主義に反するか否かは、結局程度問題であつて、個々の法規について具体的に考察するほかないが、当該法令の条項がその表現形式だけを観察すると、ある程度抽象的に失し、不明確ではないかとの疑があつても、そのことから直ちに罪刑法定主義に反し、当該法令が無効であると結論づけることはできず、要は、その法令の全体の趣旨をも参酌して、合理的に許される限定解釈によつてもなおかつ規定内容を明確にすることができない場合、はじめて罪刑法定主義に反し、当該法規が無効であるといわなければならない。
ところで、本条例は、一六条一項において、「何人も、青少年に対し、淫行または猥せつの行為をしてはならない」と規定し、二一条一項において、「一六条の規定に違反して著しく青少年の福祉を阻害した者は、六月以下の懲役または一万円以下の罰金に処する」と規定しており、右両法条が一体となつて犯罪の構成要件を規定しているのであるが、右の規定内容は、とくに「著しく青少年の福祉を阻害した」という点において、いささか抽象的に過ぎ、解釈上争いを生ずるおそれがないではないが、限定解釈によつてこれを明確にし得ないわけではない。ところで、本条例一六条一項に規定する「淫行」および「猥せつ」の概念は、すでに刑法や児童福祉法にも用いられているが、本条例一六条一項でいうところの、「淫行」とは、健全な常識を有する一般社会人からみて結婚を前提としない、専ら情欲を満たすためにのみ行なう不純とされる性行為をいい、「猥せつ」とは、いたずらに性欲を刺激興奮せしめたり、その露骨な表現によつて健全な常識のある一般社会人に対し、性的な羞恥嫌悪の情をおこさせる行為をいうものと解するを相当とする(東京高裁昭和三八年(う)二五八七号、同三九年四月二二日判決、同四一年(う)二八〇四号、同四二年二月二八日判決高等裁判所刑事判例集二〇巻一号六九頁参照)。弁護人は、右「淫行」の解釈につき、健全な常識を有する一般社会人とみられる者の間で統一的認識に帰するか否か、性秩序の動揺している現代においては甚だ疑問であると主張するので按ずるに、なるほど、現在においては戦前に比し性道徳が紊乱していることは論旨の指摘するとおりであるが、しかし、このことは極く一部分の者の間で言い得ることであり、右の尺度で全体を推し測るのは早計であつて、健全な常識を有する一般社会人が冷静に判断しさえすれば、「淫行」につきおおむね統一的見解に到達し得るといわなければならない。また、「著しく青少年の福祉を阻害した」というのは、本条例一条の立法趣旨から考えて、「青少年が心身ともに健やかに成長することを著しく阻害した」ことを意味すると解すべきであり、したがつて、淫行によつて青少年の健全な肉体的、心理的、精神的ないしは社会的な成長のすべてもしくは右のうちいずれかの成長が著しく阻害されたと認められる場合であるというべく、さらに、その認定は、犯行の動機、態様および青少年に与えた右各種の影響等諸般の事情を考慮して客観的に判断することは可能であつて、右のように解すれば、本条例一六条一項、二一条一項の構成要件は客観性を保ち得るのであつて、裁判官の主観によつて罪の成否が左右されるようなおそれはないと考える。したがつて、本条例一六条一項、二一条一項の規定は罪刑法定主義に反し、ひいては憲法三一条に違反するということはできない。なお、本件についてこれをみるに、判示のように被告人は、結婚の意思もないのに情欲のおもむくまま、A子らと肉体関係を結んで同女らに妊娠させて中絶あるいは出産のやむなきに至らしめ、さらに家出までさせたものであることが認められるので、被告人の判示各所為は著しく青少年の福祉を阻害したものと優に認定することができる。されば、この点に関する弁護人の主張は理由がない。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 木原繁季 三木光一 新田誠志)